審査員特別賞受賞作品②
児童精神科医として生きる
                          秋 谷 進
 私が通う小学校には、「養護学級」がありました。小学1年生だった私でも、そのクラスの存在を知っているほど有名でした。ですが、どんなクラスなのかということはわかりません。学校全体で、そのクラスには近寄ってはいけないという空気が流れていたからです。

 ただ、近寄ってはいけないと思っても、どんなクラスなのかは気になります。私は1度だけ、1階の職員室の近くにある養護学級を覗きに行ったことがあります。授業が終わってからの時間だったので、誰もいませんでした。ですが、教室の床にはカーペットが敷いてあり、箱にはたくさんの玩具が入っていました。明らかに私がいる1年2組のクラスとは違います。何だか見てはいけないものを見た気になり、私はその場を離れました。

 ただ私がもう少し大きくなった頃に知ったことですが、通っていた小学校の養護学級は常にあるわけではなく、障害児が入学してきたときのみ作っているクラスでした。私が入学した年と同じ年に、自閉症の子どもが1人入学し、養護学級が作られたというわけです。当時、養護学級には自閉症の子1人しかおらず、教室の中にはその子と担任の先生2人で過ごしていました。

 当時の私は、学校内にいて、そのクラスの子だなと思うことが時々あったのですが、それは親から養護学級のことを聞いていたからわかっただけです。例えば授業中に窓の外を覗いてみると、生徒と先生が2人だけで運動場にいて遊んでいる姿を見たり、滅多にありませんでしたが廊下ですれ違うことがあったりしました。そういった時に、彼は「あー」「うー」というような声をあげていて、私は何とも言えない気持ちになり、その感情をどう表現していいのかはわかりませんでした。ですが、私が彼のことを見ていても、彼が私の方を見ることはなかったので、彼の世界に私はいなかったのでしょう。だから私も安心して彼を避ける対象にすることができました。

 1学期もそろそろ終わる頃、校舎2階の1年2組の教室の近くにあるトイレに行ってみると、奥から声が聞こえてきました。

「何か言ってみろよ」
「ほら、どうしたんだよ」

 そっと奥を覗いてみると、そこには隣のクラスの男子生徒5人が自閉症の子を取り囲んでいました。自閉症の子は両手で自分の顔を守り、「あーあー」と言っています。

 私は何か良くないことが目の前で起こっているような気がしましたが、何が起こっているのかが理解できませんでした。私はとにかく、すぐにここから離れたほうがいいと思い、トイレの中には入らず、別の場所にあるトイレに駆け込みました。

「さっきのは……何だったんだろう……」

 思い出すだけで、心の奥がギュっと締め付けられるような感覚になります。さっきの光景を思い出すだけで吐き気がしました。ただ、私たち1年生のクラスは小学校の2階にあり、自閉症の子がいる養護学級は1階にある職員室のすぐ隣りにあるため、彼が2階にいたことも不思議でした。ですが、そんなことを考えていても、やっぱりさっきの場面を思い出してしまうので、心がモヤモヤします。

「いいや。とにかく今日のことは忘れよう。僕の見間違いだったのかもしれないし」

 そう自分に言い聞かせ、私は自分のクラスに戻りました。
 それから1週間、彼らの姿を見かけなかったので、私は気軽に教室から近いトイレに行くようになっていました。ですが……
 ドンッ
 トイレに行こうとすると、何かがぶつかるような音が聞こえてきました。嫌な予感はしたものの覗きたいという衝動には抗えず、音のしたトイレの奥を覗きました。そこにいたのは、例の5人の男子生徒と自閉症の子です。自閉症の子は地べたにしゃがんでおり、その周りを5人の男子生徒が取り囲んでいます。

「またかよ~。なぁ、おい、人間の言葉でしゃべってみろって言ってんの」
 
男の子はそう言うと、自閉症の子のお尻を蹴り上げました。

「あぁー! あー!」
「あーあーじゃねえって言ってるだろ!」
「あぁー! あー!」

 他の男の子も自閉症の子のお尻を蹴り上げます。男の子たちは笑いながら彼のお尻を、次々と蹴っていっているようです。

「……」

 この前見た光景よりも、さらにひどくなっていることは認識できましたが、何が目の前で行われているのかは理解できませんでした。ただ、前はこの光景を見た後に、何もなかったかのように振る舞って別のトイレに行くことができたのに、今度はそれができません。私は目の前で行われている暴力行為を、立ち尽くして見るしかできなかったのです。
 このままここにいて、目の前の光景を見続けている状態も何となく危険な気はしていました。だから私は、この場から離れるために、無理やりにでも足を動かそうとしました――

「!」

 男の子たちに蹴られている自閉症の子が、真っすぐに私のことを見つめていることに気づいたのです。これまで一度も目が合ったことがなかったのに、怖いぐらいに真っすぐに私を見ています。
 私は男子生徒たちの行為よりも、自閉症の子の視線の方が怖くなって、気が付いた時には走って逃げていました。

 それから数日後。ホームルームの時間に担任の先生が真剣な表情で、みんなに話したいことがあると伝えました。私はいつもと雰囲気が違う担任の先生が、少し怖く感じたのを覚えています。
「学校でイジメが行われていました。それは、この教室がある2階の男子トイレの中です」
 担任の先生の言葉に、教室内はしーんと静まり返りました。ですが私の心臓は、バクバクと、ありえないぐらいの大きな音を鳴らしていました。私はようやく、自分が見たものがイジメの現場だと理解できたからです。

 自分はその場に居合わせたのに、その場から逃げることしかできませんでした。でももし、暴力を振るわれていた生徒が、自閉症の子ではなく、同じクラスの別の子だった場合でも、私は同じように逃げ出していたのかと考えました。

 答えは、否。同じクラスではなくても健常児だったら、きっと私は「何もしていない子を蹴るのはダメだよ」と伝えられたはずです。相手が5人もいたので、もし自分の手では負えないと思ったら、少なくとも先生を呼びに行くことぐらいはしたでしょう。ですが私は先生を呼びに行く事すらしなかったのです。理由はおそらく、自分とは違う子だから、言葉も発しない子だったから、仲間と見てなかったのです。

 それから数年後。大人になった私は児童精神科医になりました。私は今でもあの時の、自閉症の子の真っすぐに見つめてきた、あの目を思い出すと、心臓がズキズキと痛みます。当時の私は、自分のしたことが本当に酷いことだったとは理解していませんでした。それにあの彼の目が、私に助けを求める目だったということも、わかっていなかったのです。

 養護学級にいたあの子は自閉症でしたが、障がい児と言われる子たちは、人とのコミュニケーションを取りたくても上手に取れないところがあります。健常児が普通にできることができないので、健常児には障がい児が何をしているのかがよくわかりません。

 障がい児たちを見てみると、彼らは彼らなりのコミュニケーション方法で、私たちと接しようとしていることがわかります。例えば、おもちゃで遊びたいと思った時、健常児であれば「おもちゃで遊びたい」と伝えますが、障がい児は無言でおもちゃを相手に押し付けてきます。受け取る側が、相手が何をしているのかに気づいてあげることが大事だと、私は彼らを見てよりそう強く思うようになりました。

 健常児だろうと、障がい児だろうと、人は人に支えられて元気づけられますし、自分の気持ちをわかってもらえれば嬉しいものです。健常児と障がい児では常識も、できることも違うため、コミュニケーションを成立させることは困難かもしれません。ですが、できないことでもありません。

 私が初めて経験した小学1年生のあの時も、自閉症の子が私をじっと見つめて来ていたのは、私に「助けて欲しい」という訴えだったはずです。私はそのことを理解して助けに入り、さらには再発防止のために大人である先生に事実を伝えることが正しい行動でした。

 私にはそれができませんでしたが、ホームルームでの担任の先生の話を聞いている限りでは、その正しい行動を取ることができた人がいたのだと思います。

 そして小学校のあの出来事は、私自身がイジメの加害者でもあるということを理解しなければいけません。イジメの加害者というのは、必ずしも被害者に直接的な暴力を振るう者だけのことを指しません。

 イジメが行われているのを知りながら何もせず、傍観者として見ているだけの人も、イジメの加害者です。このことに気づいている人は、どれだけいるでしょうか? 私はイジメの加害者じゃないと言い張る人はいるかもしれませんが、傍観者も加害者なのです。

 だから私は、もう二度と自分が犯した罪を繰り返さないために、児童精神科医になったというのもあります。イジメの被害者に寄り添い、イジメの加害者になってしまわないように寄り添いたい。児童精神科医として、一生この身を子どもたちのために捧げたいと思っています。


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